中津川に日本初のドクターカーを導入させた救急医の間渕則文さんが情熱大陸に出演することになりました。
間渕則文さんとはどのような方なのか、経歴や年収が気になりますよね。
また、どうして中津川にドクターカーを導入させようと思ったのでしょうか。
・間渕則文さんの経歴や中津川にドクターカーを導入させた理由
・間渕則文さんの年収
について紹介していきますね。
次回の #情熱大陸 は
— 情熱大陸 (@jounetsu) August 21, 2022
8月28日(日)よる11時〜放送
救急医/間渕則文
24時間365日患者のもとへ駆けつける!
ドクターカーと走る64歳、救急医の夏https://t.co/HFFqXg8v5f#mbs #jounetsu #救急医 #間渕則文 #ドクターカー pic.twitter.com/4NEfVg87WS
間渕則文の経歴は?
間渕則文さんの経歴を紹介します。
1983年3月 | 名古屋市立大学医学部卒業 |
名古屋市立大学病院麻酔科 名古屋第二赤十字病院集中治療部 カナダ・トロント総合病院麻酔科 | |
1999年3月 | 国際協力事業団医療協力部派遣前業務委嘱員 |
1999年4月 | エジプト・アラブ共和国カイロ大学小児病院小児救急医療 プロジェクト・チーフアドバイザー |
2002年4月 | 岐阜県立多治見病院麻酔科主任医長・ 救命救急センター主任医長に就任 |
2002年7月 | 麻酔科部長 |
2002年8月 | 救命救急センター長 |
2007年4月 | 臨床研修センター長兼務 |
2013年 | 中津川市民病院 病院前救急診療科 部長 |
間渕則文さんは、1958年に愛知県で生まれました。
間渕則文さんの家は医師家系で、父親は薬剤師、祖父は開業医で叔父も医師でした。
開業医の祖父に憧れていたため医師になりましたが、実は受験直前まで土木エンジニアと医師で悩んでいたそうですよ。
医学部の道を選んだ間渕則文さんは、医学部を卒業後、カナダの大学病院で当時は日本でまだ許可されていない心臓や肺の手術なども携わり、経験を積んできました。
目標にしていた先輩が麻酔科医で、ドイツの麻酔科医の多くが救急医であったことから、救急医療を志したときに、搬送中の男の子が亡くなってしまうのを見て、「医師が病院で待っているだけではダメだ」と考えるようになりました。
そして、1999年にエジプト・アラブ共和国カイロ大学小児病院小児救急医療プロジェクトのチーフアドバイザーとして赴任し、研究のためにドイツを訪れた時に、医師が現場に駆けつけて診療をする乗用車型のドクターカーと出会ったのです。
その後も多治見病院で麻酔科部長や救命救急センター長として数多くの後輩を育ててきた間渕則文さんは、2013年にある決断をします。
「公務員としての医師の定年はたいてい65才。それまであと10年と考えたとき、最後の10年は好きなことをやろうと、思ったんです」
https://www.news-postseven.com/archives/20161019_456883.html?DETAIL
自分の好きなことを考えたときに浮かんだのが、憧れだった開業医の祖父でした。
祖父の神谷浩三さんは、70歳を超えてから自分の医院を間淵則文さんの叔父に任せて静岡県の無医村で診療所をやりだしたのです。
その姿が浮かんだ間渕則文さんは、多治見病院で働いていた時に、中津川市から運ばれてくる救急車の数が少ないことに気が付き、救命センターにたどり着く前に亡くなっているのではと感じたため、中津川でドクターカーを導入することに決めたのです。
中津川にある中津川市民病院は、24時間体制で務める救急専門医はおらず、ICUもないため、約50km離れた多治見市まで搬送されていたため、搬送途中で亡くなる人が多かったのかもしれませんね。
間渕則文さんは、中津川こそドクターカーが必要だと感じたです。
ドクターカーが必要だからといって簡単に導入できたわけではありませんでした。
ドクターカーを導入すると年間約5000万円の費用が掛かるため、理解してもらうのに苦労したのです。
諦めなかった間渕則文さんは、市議会でプレゼンする機会をいただき、「市民一人当たり1日50銭から80銭の負担で救えなかった命が救える」「24時間対応可能、夜中でも駆け付けられる」と説明したら最後には満場一致で拍手をもらい、理解を得ることに成功しました。
そして、2013年9月に中津川市民病院に赴任した間渕則文さんは、日本初となる「病院前救急診療科」を立ち上げ、2014年3月にはドクターカーNEMACの始動も行いました。
間渕則文さんが中津川市民病院に赴任したばかりの時は、救命率が3%だったのに対し、ドクターカーがフルで稼働するようになると、19%にまで改善されたのです。
この数値は、東京などの大都市と同レベルとなります。
間渕則文さんはもう一人の医師と交代で、「9日間連続で勤務して5日間連続で休暇をとる」という勤務体制で24時間365日中津川市民を救うためにドクターカーと共に日常生活を送っています。
外食する時も、注文した後に無線で出動要請がかかるときがあるから、常に前払いをしているとのことですよ。
現在ドクターカーがある病院や、救急車との違いは下記の記事で紹介しています。
⇒ドクターカーがある病院は?料金やどんな時に来るのか救急車との違いを調査!
間渕則文の年収は?
日本初!乗用車型ドクターカーを導入した医師・中津川市民病院間渕則文先生インタビュー https://t.co/66mNHvL7Jh
— ogiso (@mogiso3) November 29, 2020
間渕則文さんの年収は公表されていないのでわかりません。
勤務医の年収はだいたい1500万円ほどと言われています。
ちなみに開業医は約2倍の2500万円超なんだとか…
間渕則文さんは中津川市民病院ということで勤務医になります。
憶測になりますが、2000万円越えぐらいでしょうか。
どんな額にせよ、最後の10年は自分の好きなことをやりたいと語っていた間渕則文さんは、お金のことは考えずに人の命を救うことだけ考えていそうですよね。
まとめ
間渕則文さんは2022年現在、64歳です。
2013年の時に決断した残りの10年があと1年で訪れます。
この10年で救われた命は何倍にもなりました。
間渕則文さんは、ドクターカーでの活動を、「救急医療の出前で、ピザのデリバリーと一緒」と例えています。
日本にドクターカーを導入させた間渕則文さんはとても素敵な方だと思います。
2022年現在は、多くの病院がドクターカーを採用させています。
現在ドクターカーがある病院や、救急車との違いは下記の記事で紹介しています。
⇒ドクターカーがある病院は?料金やどんな時に来るのか救急車との違いを調査!
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