元レアメタル王アドバンスト マテリアル ジャパン代表取締役社長だった中村繁夫さんが、ガイヤの夜明けでウクライナ危機の資源高騰を受け、国益になるような仕事をすると特集されていましたね。
元レアメタル王、中村繁夫さんとはどのような人物で経歴があるのか気になりますよね!
そこで今回は、中村繁夫さんの経歴を調査しました!
目次
元レアメタル王、中村繁夫の経歴は?
『努力は称賛には値するが、報酬には値しない』中村繁夫 pic.twitter.com/UtbILiHmuF
— 失敗者bot (@shippaisya) August 13, 2022
1947年京都で生まれた中村繁夫さんは、両親ともにお寺に関係する仕事をされており、母親の実家は京都駅の前で仏壇店を経営、父親は京都の衛生協会初代理事長を務めていました。
子供の頃は朝から夜まで歌い続けたり、山で迷子になって警察沙汰になったり、米軍のMPが接収していた植物園に深夜カブトムシを獲りに潜入したところを見つかって拳銃で撃たれたり(当たらなかった)となかなかすごい子供時代を過ごしています。
小学校高学年になると自転車で琵琶湖を一周、中学生では山登りを本格的に始め毎週山登りに行き、山で出会った探検部の人たちの影響で世界の文学全集を読むようにもなりました。
高校は、西堀栄三郎さんなど数多くの著名人が卒業している京都府立洛北高等学校に進学し、趣味の放浪から植物や森林への興味が増し、大学は静岡大学の農学部木材工業学科へ進学しましたが、大学在学中に海外へ放浪したくなり、世界の五大陸を踏破する夢を抱き、内定をもらっていた大手製紙会社を断り、大学院へ進学して22歳の頃大学院を休学して海外放浪の旅を始めました。
海外放浪時代
ロシアを経由してヨーロッパに行き、居候やヒッチハイク、をするなどカツカツの状態で30か国以上周り、ブラジルのアマゾンに行きました。
日本の大手商社現地支店長の家で居候をし、話を聞いているうちに「木材も面白いけど、レアメタルはさらに面白そうだ」という考えを持ち始めるなど、中村繁夫さんの商社マンとレアメタルはここから始まりました。
また、東本願寺別院の住職、大谷暢慶老師と出会ったのも開眼に導いた大きな出会いだったようです。
その後、アメリカに行き、一年後に彼女に「アメリカで一緒に暮らさないか」と伝えたが、カツカツの貧乏生活だったため彼女に怒られてことから帰国を決意し、アルバイトをしながら帰国費用を貯め、3年弱の海外放浪旅が終わりました。
中村繁夫さんの奥さんについてはこちら
蝶理株式会社、商社マン時代
大学院を修了後、ブラジルで出会った商社マンを思い出し、お金が稼げるだろうという気持ちから、蝶理株式会社へ入社しました。
大手の会社からも内定があったそうですが、直感で中堅の蝶理株式会社に決めました。
レアメタル資源の開発に一番力を入れており、中村繁夫さんは75億円の商売を決めたこともありました。
しかし、ITバブルが崩壊し、膨大な資金を必要とするレアメタル部門は会社の外に出すと言われ、55歳でリストラ勧告に遭いました。
中村繁夫さんは、MBOという手法で会社から事業部門を買取、独立することを決意し、部下たちと一緒に2003年アドバンスト マテリアル ジャパンを設立し、代表取締役社長に就任しました。
アドバンスト マテリアル ジャパン時代
47億円だった売上は、1年後には79億、2年目には135億、3年目には270億、4年目には340億円と売上は右肩上がりに大きく増加していきました。
スタッフの大半は中国やモンゴル、ロシア出身の外国人で個人の強みを活かし同じテーマでぶつかりあうことで多くの「積」が生みだし、強い人材を集め、情熱を引き出しだすマネジメントを行っています。
中村繁夫さんがビジネスを成功させるために必要だと思うものは、「有言実行」「目的絶対」「異質の協力」だと語っています。
中村繁夫の年収は?
中村繁夫さんの年収は明らかになっていないのでわかりませんが、会社自体はとても順調に成長していて、2022年3月末の売上は約470億円でした。
現在は社長を退き、「特別顧問」という役職になっていますが、かなりの年収だと思います。
中村繁夫の現在は?
山師が僧侶になった理由 得度とは蛸壺から抜け出すことと見つけたり https://t.co/WrbIh23cnC @WEDGE_ONLINEより
— 中村繁夫 (@shnakamura1) August 7, 2022
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得度して得したことはありませんが、新しい景色が見えてきました。
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有難うございました。
中村繁夫さんは現在僧侶です。!
2016年に京都の東本願寺で仏間に入りお坊さんになっていました!
中村繁夫さんが建設したお寺は「智探庵」(ちたんあん)というお寺でレアメタルのチタンが使われている中村繁夫さんらしいお寺になっています。
中村繁夫さんは京都の金閣寺と銀閣寺に並んで智探閣寺とのイメージを抱きながら建設されたそうですよ。
僧侶になったのは意外かもしれませんが、商社時代の時に人生の最後はお坊さんになりたいと思っていると答えていました。
子供の頃からご両親がお寺関係ということでお坊さんになるとは思っていたようです。
その夢が実現されたのですね!
中村繁夫さんは、断食道場に行って断食も体験されています!
断食道場の場所はこちら
まとめ
元レアメタル王の中村繁夫さんは、子ども時代からなかなか凄い行動をしていることがわかりました。
そしてこの行動力が引退後も変わらない原動力になっているのでしょうね。
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