2022年男子バレーボール日本代表登録メンバーに選出されたエバデダン・ラリー選手の身長や最高到達点、中学や高校などの学歴を紹介したいと思います。
また、エバデダン・ラリー選手はハーフなので、ご両親の出身地についてもご紹介しますね。
目次
エバデダン・ラリーはハーフで両親の出身はどこ?
エバデダン・ラリー選手は、父親がナイジェリア人、母親が日本人のハーフです。
エバデダン・ラリー選手自体は岐阜県海津市出身で岐阜で生まれ岐阜で育っています。
エバデダン・ラリー選手の父親は日本に移住して30年以上たっており、岐阜県の地元でバーを経営しながら、エバデダン・ラリー選手の母親と共に塾の講師として働かれています。
高校から本格的にバレーボールの練習が忙しくなったエバデダン・ラリー選手は、アルバイトをする時間などなくて両親の支援で生活ができたため、大学卒業後は親孝行ができるように選手として結果を出し続けたいと語られていました。
是非日本代表の試合で活躍する姿が見たいですよね!
そんな両親想いのエバデダン・ラリー選手は小さいころは周りと見た目が違うことを意識したことはなく、みんなと同じ日本人だと思っていたそうです。
黒人と日本人のハーフのため、周りから運動神経が良いと思われることが多かったようですが、ハーフだからと何か嫌だった思いはせず、肌の色が違うハーフだから見られていたわけではなくて、身長が195㎝あったため身長で目立っていたと思っているそうです。
エバデダン・ラリー選手は黒人ハーフですが、日本で生まれ、日本で育ったため考え方も文化も日本人と同じ考えのようです。
エバデダン・ラリー選手はお兄さんの影響で小学4年生の頃からバレーを始めました。
エバデダン・ラリーの兄
エバデダン・ラリー選手の3歳年上のお兄さんは同じくバレーボール選手のエバデダンジェフリー選手です。
小学5年生の頃に仲の良かった友達にバレーを勧められて始めたバレーが何回かやることでコントローできるようになり、好きになったそうです。
ポジションはミドルブロッカーで富士通カワサキレッドスピリッツに所属しています。
エバデダン・ラリーの身長・最高到達点・学歴などプロフィール
エバデダン・ラリー選手の身長や最高到達点、学歴などプロフィールをご紹介します。
名前 :エバデダン・ラリー・アイケー
生年月日:2000年8月18日
身長 :195㎝
体重 :85kg
血液型 :B型
出身 :岐阜県海津市
出身中学 :海津市立平田中学校
出身高校 :創造学園(松本国際高等学校の旧名)
出身大学 :筑波大学体育専門学群
最高到達点:350㎝
指高 :253㎝
利き手 :右
サージャントジャンプ:80㎝
ポジション:ミドルブロッカー
エバデダン・ラリーの身長
エバデダン・ラリー選手の身長は195㎝と一般の中では高身長ですが、ミドルブロッカーとしては低めで、日本代表に選ばれるためには2mないと厳しいが挑戦したいと語っていましたが、今回195㎝ですが、日本代表登録メンバーに初選出されました。
日本代表のミドルブロッカーは確かに2m以上の選手が多いですが、同じミドルブロッカーの村山豪選手が192㎝で大活躍されているので、身長は関係ないと思います。
エバデダン・ラリーの出身小学校と中学校
エバデダン・ラリー選手の出身小学校は今尾小学校で幼少時はやんちゃな子供だったそうです。
兄のエバデダン・ジェフリー選手の影響で小学4年生の頃からバレーを始めました。
兄のエバデダン・ジェフリー選手が小学校時代今尾Jr.バレーに所属されていたのでエバデダン・ラリー選手も今尾Jr.バレーに所属していたのではないかと思います。
中学では特に強豪の私立中学に行くというわけではなく、地元の公立中学である、平田中学校に進学しました。
エバデダン・ラリーの出身高校
そして高校から兄のエバデダン・ジェフリー選手も通っていた長野県松本市にある創造学園(松本国際の旧名)に進学し、今まで強豪校にいなかったエバデダン・ラリー選手は創造学園でバレーボールを始めたときに「これが本物のバレーか」と練習量にも圧倒されたそうです。
エバデダン・ラリー選手は高校1年生の秋の国体から早くも本格的にレギュラーとして長野県代表で出場していましたが準決勝の東京戦で自分の技術がまだまだだと痛感し、意識改革をしていきました。
バレーボールを本格的にするようになって技術だけではなく人間としても成長でき、周りを把握する能力や伝える能力、コミュニケーション能力も学び、昔からの友人に会うと「丸くなったね」と言われるそうです。
幼少期にやんちゃだったエバデダン・ラリー選手は高校時代は大人しくてまじめだったそうですよ。
エバデダン・ラリーの出身大学
創造学園で本格的にバレーをやり、筑波大学に進学しました。
4月から試合に出場していたエバデダン・ラリー選手でしたが、6月に疲労骨折をしてしまい3ヶ月間コートに出られない期間があり、無の状態になってしまったそうです。
さらに試合に出られない時にチームが東日本インカレに出場して優勝をしたことによって嬉しいという気持ちより、自分がいなくてもチームが勝てることに焦りを感じてしまいモチベーションを保つのも難しくてとても苦労されています。
ケガで試合に出たくても出られない時に、周りから「さぼっている」と思われたことが悔しくて復帰する原動力になったそうです。
バレーができない空白の時間は辛かったそうですが、この期間があったからこそ強くなれたとも語られています。
そして、復帰後3ヶ月で全日本インカレに出場して復帰のアピールをしました。
エバデダン・ラリー選手は大学3年生の12月から4月にかけて、大学に在学しながらVリーグでプレーするという初の試みでパナソニックパンサーズに入団しました。
1月末にはVC長野戦でVリーグ初出場し、V・レギュラーラウンドでは15試合に出場、31得点、アタック決定率64.6%と活躍し、チームのムードメーカーとしても存在感を発揮しました。
2022年4月、V1終了と共に退団して筑波大学に戻ってきました。
そして現在は日本代表登録メンバーに初選出されています。
エバデダン・ラリーの最高到達点
エバデダン・ラリー選手の最高到達点は350㎝です。
同じ日本代表登録メンバーのミドルブロッカーの中でも高い方なので期待できますね!
大学3年生の時の最高到達点は344㎝だったので日々進化されているようですね。
まとめ
エバデダン・ラリー選手はハーフで父親がナイジェリア人、母親が日本人だということがわかりました。
エバデダン・ラリー選手の父親はもう日本に移住して30年がたっているそうなので、エバデダン・ラリー選手は海外にいかず、ずっと日本で過ごしている可能性も高いですね。
両親のためにバレーをやっている、両親に親孝行するためにバレーボール選手として結果を出し続けたいと語るほど両親想いで優しいエバデダン・ラリー選手です。
日本代表として試合に出場するのが楽しみですね!
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