志摩市民病院を再建させた江角悠太さんの経歴や学歴を調査しました!
家族は医師家系で、進学校に通うも退学寸前、大学時代はバーの運営など、江角悠太さんを調べて行くと色々な情報がわかりました。
34歳で志摩市民病院を再建させた江角悠太さんの
・経歴
・学歴
・家族、奥さん
について紹介していきます!
【3-E Dream~病院長への道~】#夏セミ
— 家庭医療学夏期セミナー広報 (@kasemipr) May 21, 2022
江角悠太 先生
/志摩市民病院
「小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は地域を癒す。地域の厚労大臣は、地域医療を担う市民病院の病院長である。特に田舎には唯一の存在となる。すなわち、将来の君たちの手にかかっている。お待ちしております。」 pic.twitter.com/iXitl5XgkE
目次
江角悠太の経歴
江角悠太さんの経歴を紹介します。
2009年に三重大学医学部を卒業したのち、沖縄徳州会 中部徳州会病院で初期研修を受け、宮古島と徳之島で離島研修もしています。
初期研修で行った沖縄中部徳洲会病院が、「絶対に助けを求めてくる患者を断らない」という考えであることが、志摩市民病院の「絶対に断らない」に繋がっています。
2011年に三重大学家庭医療学総合診療科で後期研修を行った後、亀山市立医療センター内科、三重大学医学部付属病院救急センター、名張市立病院内科、県立一志病院 家庭医学科など、三重県内の病院で医師としての経験を積んでいます。
2014年にはPEACE BOATで客船医も経験されています。
そして2014年に、医師の足りない地方の病院に医師を派遣する「医師派遣」で志摩市民病院で働くこととなりました。
志摩市民病院の再建
2014年の12月に「医師派遣」で志摩市民病院に赴任しましたが、翌年に年間7億円の赤字が原因で市民病院から診療所になると話がでたことで江角悠太さん以外の医師3人が退職してしまいました。
診療所に縮小すると高齢の方が困ってしまうということで江角悠太さんは院長になり2016年4月に志摩市民病院の再建を始めました。
1年で結果を出さなきゃいけないと考えた江角悠太さんは「絶対に断らない」を徹底的に行います。
しかし、江角悠太さん一人ではやり遂げれません。
実現できたのは、最後までついてきてくれたスタッフと、医学生でした。
医学生たちがスタッフの手が行き届かない患者さんのケアをしたり、遅くまで勉強している姿が病院全体の雰囲気をよくしていきました。
志摩市を助ける専門医のような形で医師となって病院に戻ってくる元実習生もいるようです。
初年度に開催した病院まつりで住民から悪い評価だった病院が「この病院はすごいね」と評価が上がり、結果的にスタッフのモチベーション向上と、患者さんの増加で地域に必要とされる病院へと復活していくのです。
34歳で志摩市民病院を再建させた江角悠太さんの学生時代は麻雀やバイクに明け暮れる学生だったようです。
医師になる気はなかった江角悠太さんが医師を目指したきっかけなど学生時代の江角悠太さんをご紹介します。
なんと大学時代ではバーまで経営しているんですよ!!
江角悠太の高校や大学など学歴
江角悠太さんは、小学生の頃から、塾に通っており、勉強ができたため都内屈指の進学校である、偏差値73の東京都立西高校に進学しました。
しかし、やる気がおきなかった江角悠太さんは授業を受けなかったりしたため成績は最底辺、さらにやんちゃばがりで問題をおこしていたため退学寸前までいっていました。
退学寸前までいった江角悠太さんでしたが、高校2年生のある日、映画「パッチ・アダムス」を視聴し、主人公が無料で受けれる病院を作り上げ、笑いと愛情で患者を幸せにする姿を見た時に、小さい頃から言われていた両親と祖父母の言葉を思い出し、映画の主人公と同じ医師を目指すことにしました。
小さい頃から友人との喧嘩や問題をおこしていた江角悠太さんは両親が学校に呼ばれることも多く、そのたびに、両親と祖父母からは、
「自分の力は、自分勝手をするためでなく、世の中のために使いなさい」「お前の人生は人のために使うんだよ」
https://president.jp/articles/-/32522?page=3
と言われていました。
この言葉の意味が映画を観ているときにわかり、人を幸せにする医師になると決めたのですが、授業をまともに受けていなかった江角悠太さんにとって医学部に進学するのは夢のような話でした。
しかし、諦めない江角悠太さんは高校の先生にお願いして中学3年生のレベルから勉強をして2浪したけど三重大学医学部に見事合格しました。
三重大学を選んだ理由は、父親から「医学部に行くなら国立大学に合格しろ」と言われていたからです。
そしていくつかの大学を見て回り、海岸線に隣接し全学部が一つのキャンパスに集まっている三重大学が医療を中心に人々をつなげていくと感じたため進学先に決めました。
その他にもサーフィンが好きな江角悠太さんは、、三重大学のパンフレットに海と砂浜が写っていたから、毎朝サーフィンができると思ったのも決め手の一つでした。
結局大学の前の海は波がなくてサーフィンはできなかったのですが(^^;
大学時代
医療を中心に人々をつなげていく構想を実験するために三重大学に進学しましたが、単発イベントで他学部が集まっても関係は長続きしなかったため、江角悠太さんは大学の正門前でなんとバーを運営し始めたのです!
夜7時から翌朝5時まで営業をしており、メニューは全て250円。
お金儲けのためではなく、人との繋がりの場所を提供するためだかたと、江角さん含むスタッフは無給でした。
医学部に入ってバーの運営…すごい考えですよね。
理解を得られず医学部長から「バーを辞めるか、医者を諦めるか」と言われ、教育委員長からは「両方やってもいいが、留年だ」と言われてしまいました。
留年になったのは、バーの仕事をしていたため学業がおろそかになっていたからです。
しかし江角悠太さんが運営していたバー「BAZOOKA」は、学生だけではなく、周辺の住民なども飲みにきていたため、地域や人が繋がっていく所をリアルに感じ、スタッフや組織を回すノウハウなど貴重な経験ができたと語っています。
このような経験全てが34歳で志摩市民病院を再建させたことに繋がっているのでしょうね。
江角悠太の家族は?奥さんはいるの?
江角悠太さんの父親は医学研究社で医師の江角浩安さん、母親は研究者で医療系の博士号をもっており、7歳下の弟は伊勢赤十字病院の救急で働いています。
伊勢赤十字病院は志摩市民病院の急性期病院です。
さらに父親は9代目の医師で医者家系でした。
父親の江角浩安さんは国立がん研究センター東病院院長などを務めていたい研究者でしたが、最後は地域医療をやりたいと江角悠太さんの病院で働いています。
母親はまだ東京でやりたいことがあるそうで一緒には働いていないようですが、いずれは一家総動員で志摩の幸せのために働くということになるかもしれませんね。
江角悠太は結婚している?
江角悠太さんは以前結婚をされていましたが、病院の仕事が忙しくて帰宅できず、奥さんとは離婚してしまったとの情報がありました。
現在は結婚してちるという情報はなかったので独身の可能性が高そうです。
江角悠太のwikiプロフィール まとめ
最後に江角悠太さんのプロフィールをご紹介します。
[名前] 江角 悠太
[出身] 東京都練馬区
[居住地] 三重県志摩市
[高校] 東京都立西高等学校
[大学] 三重大学 医学部
[大学院] 三重大学医学部 大学院医学系研究科
[所属] 国民健康保険志摩市民病院 病院長
[趣味] サーフィン
江角悠太さんが、34歳の時に志摩市民病院を再建できたのは、周りからは理解できないような、大学時代のバーの運営で得た経験などがあったのも大きいと思いました。
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