鈴木堅之(TESS社長)の経歴や年収は?宮沢賢治に憧れて大学を選んだ? | ひじりノート
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鈴木堅之(TESS社長)の経歴や年収は?宮沢賢治に憧れて大学を選んだ?

トレンド

世界で初めて足こぎ車いすを製品化させたTESS社長、鈴木堅之さんの経歴や年収が気になりますよね。

鈴木堅之さんを調べていると宮沢賢治に憧れて大学を選んだなんて驚きの事実もありましたよ。

歩行困難の人でも自分で漕いで自由に走り回れる車いす「COGY」を製品化させた鈴木堅之さんの経歴や年収など、wikiプロフィールを紹介します!

鈴木堅之の経歴

2008年に東北大学発ベンチャー(株)TESSを創業し、人間の反射能力を活用して身体機能を維持トレーニングする世界初の足でこぐ車いす「足こぎ車いすProfhand」を製品化させました。

障がい者も健常者も共に希望を見出せる社会の実現を目指して活動されており、

第17回東北アントレプレンナー大賞
平成25年日本クリエイション賞
Japan Venture Awards2014経済産業大臣賞

など数ある賞を受賞されています。

そんな会社を創業させた鈴木賢之さんを紹介していきますね。

足こぎ車いすに出会うまで

鈴木堅之さんは幼少期の時から、障がい者の方が身近にいる生活を送っていました。

伊豆の下田で育った鈴木堅之さんは、薬剤師をしている父親の仕事の関係でリハビリを得意とした病院の敷地内にある社宅で暮らしていたため、小学校から帰ると宿題を病院のナースステーションでやりながら障がい者の方におやつをもらう生活をしていました。

そのため、リハビリの仕事や、医師、看護師など病院の中で働く仕事をしたいと思っていたのですが、20年以上前は障がい者雇用の制度や助成金などがなかったため、退院を控えた患者さんが次第に元気がなくなっていくことに気が付いたのです。

そして高校生の時には、入院していた方が社会に出たときに希望を持って生きられるような仕事をしたいと考えだした鈴木堅之さんは、医師や看護師、リハビリの先生は本当にやりたいこととは違うと感じたのです。

そんな時に大好きだった宮沢賢治の時代の農家の人たちと障がい者の人が重なり、宮沢賢治のような暮らしをしたら何かわかるかもしれないと岩手に行くことを決めて、岩手にある盛岡大学文学部児童教育学科に宮沢賢治に憧れたからという理由で進学しました。

教育学部を選択したのは、教員なら障害のあるお子さんと関わるを持てると感じたからです。

その後は、知的障がい者更生施設指導員として就職しましたが、リハビリの技術を身に着けるために奨学金で理学療法士の養成学校に入学しました。
しかし、2年目の時に奨学金が利用できなくなり、資格を取る前に養成学校を辞めることになってしまいました。

仕事を探していた時に、教員免許を持っていることから教員に誘われたが、「普通の元気な子たちとやるつもりはあまりない」という鈴木堅之さんの要望で、「言葉の教室」に配属されたのですが、公立の学校のため異動があり、山形県の普通級の公立学校教員になりました。

しかし、その小学校で車いすの児童がおり、子どものために関わることをしたいという想いから東北大学の足こぎ車いすと出会ったのです。

この児童との出会いが足こぎ車いすに繋がったんですね。

その後、足こぎ車いすを製品化したいと東北大学が立ち上げたベンチャー企業に入社しましたが、2007年に廃業してしまったのです。

諦めることができなかった鈴木堅之さんは大学に掛け合い、大学が放棄しようとしていた知財を譲り受けてTESSを創業させました。

TESS創業時代

4人のメンバーが集まったのですが、部屋も資金もないため銀行に融資をお願いにいったが、「大学ベンチャー」という理由から断られてしまいました。

ダメかなと思っていた時に、知り合いから商工会に行くことを勧められ、経営支援相談員に映像を見せたところ感激してもらえたため一緒に金融機関を訪れたら、年が明けると新しい制度ができることを教えてもらいました。

そして、全国初の「挑戦支援融資制度」というベンチャーや新事業を支援する制度の適用を受けることに成功し数百万円のお金の融資を受け取ったのです。

お金は手に入ったが、今度は作ってくれる場所が見つかりませんでした。

自動車メーカーは、「障がい者が乗ってケガをしたら」
車イスメーカーは、「足でこぐのはありえない」



と断られたのです。

自社の製品しか作らないと有名な、パラリンピックの競技用車いすを作るメーカーに一度は断られたが、近所に住む方に聞いてもらったところ、「近所だからいいよ」と引き受けてもらえました。


次は販売先です。
最初は多くの会社に断られたのですが、大手福祉用具屋の営業に目が留まり、扱ってもらえるようになると、テレビで放送されたことで他の会社でも販売してもらえるようになったのです。

そして、足こぎ車いすは今やリハビリ機器から生活の道具となりました。

ベンチャー企業の開発で、初のことばかりだったため、受け入れてもらうまでにかなり苦労されたみたいですね。

鈴木堅之の年収は?

鈴木堅之さんの年収は正式にはわかりませんでした。
資本金が4,980万円で、2017年2月時点で従業員は8名、2015年度の売上は5,449万円との公表がありました。

資本金が2,000万円以上から5,000万円未満だと842万円との情報もあったので、従業員が少ないことも考えると、1,000万円ぐらいかもしれませんね。

株式会社TESSは利益の追求より、困っている人を救うことを重視している会社です。
今後も困っている障がい者を救っていくのだと思います。

鈴木堅之wikiプロフィールまとめ

最後に鈴木堅之さんのプロフィールをまとめます。


[名前] 鈴木堅之(すずき けんじ)
[生年月日] 1974年生まれ
[出身] 静岡県伊豆市
[出身大学] 盛岡大学文学部

1997年:知的障がい者更生施設・社会福祉法人いきいき牧場に指導員として就職

1999年:リハビリの勉強をするため、山形県内の理学療法士養成学校に入学

2001年:奨学金打ち切りで理学療法士の道を諦め、退学。その後小学校の教員になる。

2003年:医療ベンチャー企業FESに入社

2008年:東北大学発ベンチャー企業TESS創業

足こぎ車いすを販売するまでにたくさんの苦労をされてきました。

鈴木堅之さんと社員が諦めなかったからこそ、今足こぎ車いすCOGYに救われている人はたくさんいるのだと思います。

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